
北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽〜「民の力」で創られ蘇った北の商都〜
小樽市では、小樽独自の貴重な歴史文化遺産を日本遺産として登録するための取り組みを進めてきました。その結果、文化庁より令和7年2月4日に初の小樽市単独の日本遺産に認定されました。
今後は、当ストーリーや構成文化財等を活用した地域活性化や交流人口の増加を図り、小樽の魅力を地域内外に発信してまいります。
ストーリーの概要
明治以降に、港と鉄道の大動脈により急速に発展していく小樽は、未来を夢見た人々の「民の力」によって北日本随一の商都となりました。“北海道の『心臓』”と小説家・小林多喜二が表現したまちには、多くの歴史的遺産が生まれました。
やがて高度経済成長期に衰退した小樽は、荒廃した運河の埋立計画を契機に、忘れられていた遺産を「民の力」により保存、再生する道を選んでいきます。
重厚な銀行建築、にぎわう運河とともに、路地のあちらこちらに、近代日本の姿を守り、活かす小樽市民の物語をみることができるのです。
北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽 構成文化財
構成文化財とは、ストーリーを語るうえで、欠かせない魅力ある有形・無形の文化財です。
近代初頭の北前船交易からはじまり、石炭輸送の拠点港となった小樽港。階段状にせりあがった独特の地形と、かつての商都小樽を一望できる景観です。

1880年代、石炭輸送のために建設された幌内鉄道にかかわる施設群。日本の近代化を支えた北海道の石炭はここから全国に運ばれました。
明治18(1885)年製造の「しづか」号、明治28(1895)年製造の、国産2号機「大勝」号などの蒸気機関車をはじめ、鉄道による物流を担った貴重な車両群6両です。
明治13(1880)年に部分開業した幌内鉄道の一部。日本の近代化を支え続けた路線。軌道を残したまま散策路として整備されています。
明治41(1908)年に完成した日本初の外洋防波堤。廣井勇の設計、指導による、小樽港の価値を決定づけた記念碑的な構造物です。
収蔵防波堤関係資料(波力公式を含む)
明治末期から昭和にかけての北防波堤など小樽港築港関係資料です。「百年試験」のモルタルブリケットなど土木技術の粋を集めた工事を物語ります。

明治24(1891)年建築。外壁に札幌軟石を使用し、入口部分の二重アーチ、妻壁に「やましち」の印が特徴。運河地区の石造倉庫を代表する建物です。

明治23(1890)年から建設され、増築を重ねて大倉庫に。寄棟の瓦屋根に鯱をのせ、煉瓦造の事務所を中心に左右対称になっています。

明治25(1892)年頃建築。大きな切妻屋根を架けた本体の前面に2棟の角屋が並んで建つ、特徴的な形をしています。

明治36(1903)年建築、小樽運河北端に建つ大規模な木骨石造倉庫です。右隣に旧広海倉庫、旧右近倉庫と大規模な倉庫が並んでいます。

明治27(1894)年建築。明治20年代としては大規模な倉庫で、妻壁の「//」印は、北前船主・右近権左衛門の店印「一膳箸」です。

明治22(1889)年建築。かつて手前まで海岸が迫り、正面右手に鉄道施設があったことから、荷物の輸送と貯蔵に最適な場所として建てられました。

明治24(1891)年、建築。内部は二つの倉庫に分けられ、その廊下には港から引き込まれたトロッコのレールが今も残っています。

明治25(1892)年建築。木で骨組みを造った室内と、石を積んだ外壁の構造で、規模は小さいですが木骨石造の特徴をよく伝える建築物です。

大正12(1923)年、大豆を収める倉庫として建てられました。前面は運河に面し、背面は出抜小路に接して建ち、周辺の歴史的景観を形成しています。
〈現 田中酒造㈱亀甲蔵〉
明治38(1905)年(1号棟)と明治39(1906)年(2・3号棟)建築の、3棟の連続する倉庫。基礎は、下部に煉瓦、その上に軟石を重ねています。
小樽支店及び附属倉庫群

明治37(1904)年着工、明治39(1906)年竣工。佐立七次郎の設計で、近世ヨーロッパ復興様式を採用した、日本を代表する近代建築の一つです。
〈現 金融資料館〉

明治45(1912)年竣工。辰野金吾らの設計で、当時の最先端技術を集結させた建造物。現在は金融資料館として公開されています。
〈現 小樽芸術村〉

明治38(1905)年(1号棟)と明治39(1906)年(2・3号棟)建築の、3棟の連続する倉庫。基礎は、下部に煉瓦、その上に軟石を重ねています。

昭和27(1952)年建築。戦後の混乱期を経て逓信・郵政建築の復興を実現した建物です。

明治41(1908)年建築。角に玄関があり、上部にはギリシャ建築風な飾りも。建築当初の外壁は煉瓦ではなく石張りでした。

明治45(1912)年建築。銀行建築独特の重厚な雰囲気の建物です。正面はほぼ建築時の姿を残しています。

明治28(1895)年建築。平屋建ての小規模建物ですが、瓦屋根の飾りや、軒下の銀行シンボルのレリーフなどが特徴です。

大正11(1922)年の建築当初は、外壁にレンガ色のタイルが貼られ、昭和12年に現在の姿に。1階正面の6本の半円柱が特徴。

昭和5(1930)年建築。ギリシャの建築様式をもった昭和初期の典型的な銀行建築であり、重量感あふれる円柱が特徴です。

大正13(1924)年建築。色内銀行街の中心に位置し、内部の2階吹き抜けの営業室は、もとのまま残されています。

昭和11(1936)年建築。正面に4本の円柱を立て、壁面をタイル張りとする昭和初期の典型的な銀行スタイルです。

昭和12(1937)年建築。1階と2階以上の壁の色のコントラストが鮮やかな印象の建物です。

大正12(1923)年、小樽経済の絶頂期に建設され、その栄華を伝えています。初期鉄筋コンクリート造の主要な建物です。

明治後期の小樽の代表的商家建築です。角地に建ち、防火のための袖壁「うだつ」を設けています。

明治30年代建築。半円のアーチ窓、軒の装飾など細部にも凝ったデザイン。瓦葺屋根の一対の鯱は、商店では稀。

明治37(1904)年の稲穂町大火で全焼した後に再建。防火戸やうだつが設けられ、うだつには鶴や亀の彫刻も。

大正4(1915)年建築。石造りの多い小樽では珍しい、褐色の煉瓦造りの建築。アーチ状窓の要石や隅石などが特徴。

大正10(1921)年建築。市内現存の数少ない本石造3階建の店舗建築。屋根窓や正面の窓の要石が強調されたデザイン。

明治40(1907)年に小間物雑貨卸の店舗として建てられた、堺町通りの歴史的景観を作る中心的な建物の一つです。

明治20(1887)年建築。両袖のうだつ、漆喰塗りの開き窓など、建設時の姿をよく留め、典型的な明治期商店の造りとなっています。

田中酒造店として昭和2(1927)年に建築されて以来、かつての店構えを残しながら今日まで営業を続けています。

昭和10(1935)年建築。小樽運河沿いに建ち、隣接する建物と中庭で結んで歴史的景観のまとまりを作っています。

大正9(1920)年建築。コンクリートで塗り固められた外壁、防火戸で覆われた出入り口や窓など、防火構造が施されています。

昭和7(1932)年建築。防火シャッターや二重窓、全館にスチーム暖房を備え、当時の優れた設備を整えていました。

昭和初期建築。正面は赤褐色のレンガ風タイル仕上げで、縦長の鋼製の窓を配し重厚な印象を与えています。

明治39(1906)年、小林多喜二「不在地主」のモデルになった磯野進によって建築。佐渡の本店で醸造した味噌などを収納。

明治後期建築。和の造りを残しながら、彫刻模様付きのカーテンボックスや上げ下げ窓などもあり、和洋折衷な建物に。
〈現 OMO5小樽 by星野リゾート〉
昭和8(1933)年建築。北日本随一と言われた小樽の経済機能を象徴する建物で、昭和初期における鉄筋コンクリート造としても貴重なものです。

三代目の駅舎として昭和9(1934)年に完成。当時の鉄道省主要駅と同じデザインが採用された、商都小樽の玄関です。

北前船主や商人たちで賑わい、明治39(1906)年日露戦争後の樺太境界画定委員会議後の大宴会の会場にもなった料亭。
昭和6(1931)年建築。明治30年代以降の英国の旅行案内書にも載った旅館で、国際貿易港小樽を象徴する建築のひとつです。

昭和12(1937)年建築。もとは東京の料亭「光亭」の小樽店で、市内に残された数寄屋建築の料亭として貴重な建物です。
大正12(1923)年に完成した、小樽のシンボルともいえる小樽運河。艀荷役効率化のために沖合に作られ、小樽の黄金期を物語る史跡です。
三代目の駅舎として昭和9(1934)大正3(1914)年、中島鋭治の指導で建設された近代水道施設。経済都市のインフラとしてだけでなく、景観としても貴重なものです。年に完成。当時の鉄道省主要駅と同じデザインが採用された、商都小樽の玄関です。

渋沢栄一が開業し取得した倉庫のうちの2棟。奥「渋沢B号倉庫」(大正14年今井商店より入手)、手前「渋沢C号倉庫」(昭和16年新築)。

大正14(1925)年建築。小樽運河の海側に建つ連続した倉庫群を形成する主要な建造物で、煉瓦の壁が景観のポイントになっています。

大正14(1925)年建築、市内に現存する木骨石造の倉庫の中でも比較的大規模な建物です。運河完成の2年後に建てられました。
事務所棟・工場・倉庫
昭和8(1933)年建築。北日本随一と言われた小樽の経済機能を象徴する建物で、昭和初期における鉄筋コンクリート造としても貴重なものです。
昭和初期、小樽の資産家たちにより撮影された動画資料。小樽の同時代の貴重な資料であり、写真とともに総合博物館で公開されています。
大正から昭和、小樽の繁栄期と衰退期の風景を資産家たちの経済援助を受けて描いた風景画。歴史資料としても貴重なものとなっています。
昭和40年~60年代に起こった小樽運河保存運動のチラシ、ポスター、切抜など。文化財の保存とまちづくりを考えた、小樽の転換期を物語る資料です。
昭和40年代の小樽運河を描き、衰退期の小樽、荒廃していた小樽運河を描いた作品群。のちに、運河保存運動の象徴的な存在となります。
昭和50年代、「斜陽のまち」といわれたころの小樽の姿を収めたおよそ5,000枚の写真。再生、変貌する以前の小樽の姿が映されています。
